亀裂 2
やはり、蒼依さんは生まれたときから女性でない…… その事が大きな心の傷となり、みんなとの距離を生んでしまっている……。
「私のような…… 存在は…… ね……」
私が言葉を発しようとした瞬間、松雪さんが静かにそう言った。
その時だった。
「貴女、いい加減にしなさいよ!」
突然の松雪さんの怒号。それと同時に蒼依さんの顔に強烈な平手打ちを浴びせた。その様子にみんなが驚きの声を上げる。
「ちょっと彩奈! 手を挙げるなんていくら何でも!」
慌てて止めに入ろうとする千里さんだが松雪さんは止まらなかった。
「どうしていつもそうやって自分を卑下してばかりなのよ! 何かあったらすぐ下を向いて謝って…… ごめんなさい、ごめんなさいって…… 貴女は何か大きな罪を犯したわけじゃないでしょ! どうして前を向いて胸を張って生きられないのよ!」
松雪さんが顔を真っ赤にして、涙を滲ませて怒号を飛ばしている…… その様子に、皆が完全に言葉を失っていた……。
「私はね…… 蒼依のことを本当にパートナーだと思ってる。だから遠慮もしないし思ったことは言わせてもらう! 貴女はそうやって自分を卑下して身を引いて、そうするしか無いと勝手に思い込んでるだけ! 悲劇のヒロインを気取ってる只の臆病者よ!」
ぶたれた頬を押さえて、俯いたままの蒼依さん…… 彼女の瞳から大粒の涙が落ちているように見える……。
「たしかに貴女は女性として生まれなかった…… 心と体の不一致は私達には分からないほどの辛さがあると思う…… けどね、私達は貴女を女性として接してるし、仲間だと思っているわ…… 貴女はどうしてそれを分からないのよ!」
松雪さんの悲痛な叫び…… その声はまるで、私達の思いを代弁しているかのようだった……。
私には割と好意的に接してくれているものの、私以外のAMGEメンバーとは何処か一歩引いたような感じは以前からあったように思う。結衣花ちゃんもその事を少し気にしているようだったし、千里さんや千鶴さんも、その距離感に悩んでいたように思う。
「松雪さん…… 落ち着いてください…… 蒼依さん、酷く怯えています……」
松雪さんの気持ちも痛いほど分かるが、蒼依さんの事情も知っている。どちらかの味方をするわけではないが、私はとりあえず松雪さんをなだめる。
「……何が…… 分かるんですか……」
その時、蒼依さんが消え入りそうな声でそう呟いた。顔を上げたその表情は、涙でぐしゃぐしゃになっていた……。
「女性として生まれ…… 裕福な家庭で育ち、容姿にも恵まれて…… そんなお嬢様の貴女に…… 私の何が分かるって言うんですか!」
蒼依さんの悲痛な叫び…… その言葉が、恐らくこの場にいた全員の心に突き刺さった気がした……。
「待って! 蒼依ちゃん!」
千里さんや結衣花ちゃんが引き留めようとするものの、蒼依さんはそう言って、泣きながら座敷を飛び出していった。
「松雪さん……」
蒼依さんから浴びせられた言葉…… 松雪さんには、それがとてもショックだったと思う……。彼女は俯いたまま、身動きが取れないでいた。
「松雪さんの気持ちは、痛いほど分かります…… でも流石に、手を挙げるのは良くなかったと思います……」
私の言葉に、千里さんも続く。
「彩奈…… まあ気持ちは分かるけど、熱くなりすぎるのもどうかと思うよ…… 蒼依ちゃん、只でさえデリケートな子なんだから……」
その言葉に、松雪さんが口を開く。
「……手を挙げたのは悪かったわ。だけど、私は許せなかった…… これからも共に、誇り高きAMGEの一員として歩んでいけると…… 思っていたのにね……」
蒼依さんのパートナーとして共に過ごした時間を考えれば、松雪さんはきっと、誰よりも彼女について理解していたのだと思う。
『AMGEの皆さんは、松雪さんを初め、本当に尊敬する方達ばかりで…… 正直なところ私は和を乱してばかり…… 相応しくないと思うのです。私のような存在は……』
だからこそ、この言葉が許せなかったのだ……。
それからしばらくして、私達は一度部屋に戻った後、一階にあるラウンジへ集まっていた。
「しかし、蒼依ちゃんがAMGEを抜けるとなれば、彩奈のパートナーは誰が務めることになるのかしらね……」
「……蒼依の代わりなんて誰が務まるのよ…… 高い霊的素質があって長剣術Class Sを習得してる女学生。私の知る限り女学院でそんな逸材はいないわ……」
松雪さんは蒼依さん事を誰よりも分かっている。だからそう言えるのだ。それを考えると、今回の事態は私達AMGEには相当な痛手となる。
「北條…… 蒼依に関して…… 何か知っているのでしょう?」
流石というか、松雪さんの勘は鋭い。ただ、あの話はきっと私だから蒼依さんは話したのだろうと思う。それを考えると、容易に他言は出来ない。
「すみません…… 蒼依さんが何故AMGEを抜ける決断をしたのか…… それは私にも分かりません」
私がそう言うと、松雪さんはそれ以上言及しなかった。きっと私の事情もある程度把握しているのだろう……。
「……鮎香ちゃん。蒼依さん、引き留めるべきだと思う」
そう言ったのは結衣花ちゃんだった。
「蒼依さんがずっと私達から一歩引いていたのは…… 私達に気を遣ってるからだと思う。みんなそれを分かっているとは思うけど。でも、このままAMGEから居なくなるなんておかしいよ」
そう言った結衣花ちゃんも、今回の事に心を痛めている。
『女性として生まれ…… 裕福な家庭で育ち、容姿にも恵まれて…… そんなお嬢様の貴女に…… 私の何が分かるって言うんですか!』
この言葉は、結衣花ちゃんにも痛かったはずだ。もちろん、千里さんや千鶴さん、そして私もお嬢様ではないが…… 心に痛く突き刺さっている。
もしも蒼依さんが普通の女性として生まれてきたのなら…… 私達には何の問題も起きていないはずだ。AMGEを抜けるという決断もせずに済んだだろう……。
それを思うと、胸が苦しくて堪らない……。
「結衣花…… 仮に引き留めたところで、どうこうなる問題じゃ無いわ。本人にその気が無い以上、退魔業は危険すぎる。只でさえAMGEでの任務は死と隣り合わせよ。それは貴女も分かっているでしょう?」
松雪さんが多少俯き気味でそう呟く。更に言葉は続いた。
「AMGEは真由様に忠誠と、その盾となる事を誓った者達の筈。それを放棄すると言うことは…… 言わなくても分かるわね?」
松雪さんの言葉に、皆が沈黙する。AMGEを辞めると言うことは、聖女神官たる真由様への忠誠を放棄するということ。もっと広く言えば、女神アルサード様への背任行為に当たるかもしれない。しかし、真由様自身が蒼依さんに別の道に進むことを許されたのであれば……。
この事を、今言うべきなのだろうか……?
「彩奈…… 一度ちゃんと話し合うべきじゃないかな……? 蒼依ちゃん、見ての通りあの性格でしょ? だから、ちゃんと仲間として、一人の女性として私達は見てるんだよって…… それをちゃんと言葉で伝えるべきなんじゃないかな?」
「千里さんの意見に同意します。このまま蒼依さんがAMGEを去るのは、私も納得がいきません……」
そう言った私。千里さんの言うとおり、一度ちゃんと話し合って蒼依さんを説得したい。
もちろん…… 蒼依さんが様々な辛い気持ちを抱えているのは知っている。だけど、共にAMGEとして戦ってきた仲間を、このまま黙って失いたくない……。
「……そうね。私も…… 手を挙げたことは謝りたいわ……」
松雪さんが静かにそう言った、その時だった。
「アルサード女学院の皆様――少し宜しいでしょうか?」
そう声をかけてきた人は、旅館の仲居さんだった。
「どうかしましたか?」
私がそう答えると、仲居さんはとても心配な表情で口を開いた。
「あの…… 泣きながら玄関口から外へ飛び出した女性が、まだ戻らないのです…… 橘蒼依様、でお間違いないでしょうか? 確認のため部屋を訪ねましたが、やはり客室には居ないようで……」
「……え?」
仲居さんの言葉に、皆の顔つきが変わる。
「どういうこと……? もう時間は23時を回っているのよ? 蒼依がいないって、それは確かなの!?」
松雪さんが仲居さんに詰め寄る。
「先日からこの旅館は、アルサード女学院一同様の貸し切りとなっております。館内への出入りは、こちらで厳重に把握しております。間違いは御座いません」
仲居さんの言葉に、松雪さんの表情が険しくなる。
「やっぱりあの時…… 追いかけておくべきだったわ。なんて馬鹿なの私は……」
松雪さんが俯き加減でそう呟いて直ぐに、その顔を上げて口を開いた。
「蒼依を探しに行くわよ! もう夜も遅いからまとまって動くわ」
こうして私達は、急いで身支度を整え不気味な夜の山中へと蒼依さんを探しに出かけたのだった……。