打ち明けし幻夢
2026年8月27日。木曜日。17時12分。
千葉 聖アルサード教会 聖女神官執務室。
「失礼致します」
私達は会議室の更に上にある、真由様の執務室に訪れた。
「ようこそ私の執務室へ。お二人をここへ招くのは初めてですね」
真由様の執務室は初めて訪れた。室内は綺麗に整頓されており、アンティークな小物等が飾られている。全体的に綺麗で落ち着いた印象だ。
そして私達は、大きなソファに案内された。ガラス製のローテーブルにはお洒落なグラスに冷たい飲み物が注がれていた。
「冷たいレモネードです。良かったら召し上がってください」
真由様の表情は非常に和やかなものだった。おそらく今は限りなくプライベートな時間。聖女神官という肩書きから解放されているような気がした。
「真由様、ありがとうございます」
私達はお礼を言うと、しばらく雑談を楽しく交わした。最近の流行やファッション、身の回りのこと等、こんな話をするときは真由様も聖女神官としてでは無く、一女性として私達と接してくれている。
真由様もきっと、お疲れになっているのだと思う。もちろん私達二人を呼んだと言うことは、只の息抜き…… では無いだろう。
「実はお二人をここに呼んだのは…… 少し伺いたい事があったからなのです」
真由様はそう切り出すと、表情が少し変わった。
「長野旅行…… 二日目の夜。何か気になることは――ありましたか?」
(やはり…… 真由様は気づかれている。おそらく千葉にいながら、私達の身の危険を察知したのかもしれない……)
「実は……」
そう切り出したのは、蒼依さんだった。
「現実のような…… 夢を視たのです。私は二日目の夜、夕食の時に色々あって号泣してしまい…… 一人になりたくて山の中の湖畔へ向かったはずでした……」
真由様が注意深く話を聞き、ノートパソコンでメモを取り始めた。
「そしたら急に、頭の中に馴染みのある声が聞こえてきて…… 7年前に姿を消した私の親友が、そこに現れたんです」
そして蒼依さんは、その親友に攻撃され、意識を失った所までを説明する。
「なるほど…… 名前は羽磨那啓《はまなけい》さん。その方のことは、教会のデータベースにも残されていました。ASSP対象外の判定が出てしまった後、教会には訪れなくなってしまった…… 聖女神官の私としても、この事は心苦しく思っています。各種テストや精神鑑定では、ASSP選定レベルをクリアしていたようですが……」
真由様が不可解そうにノートパソコンの画面を眺めている。
「啓ちゃんは…… 何故ASSPの対象外になってしまったのでしょうか……? 本来なら、私じゃ無くて彼女が選ばれるはずだったと思います。それなのに何故……」
蒼依さんが俯き、涙声になる。私は彼女の肩に手を添える。
「蒼依さん――ASSPの選定に関しては、司祭職の管轄だと思います。それに、起きてしまった過去は変えられない……」
私はそう言った。蒼依さんはこの事が大きなトラウマになっている…… この事を蒼依さん自身が乗り越えない限り、ずっと出口のない苦悩が続いていく。素直にそう感じたのだ。
「北條さんの言うとおり、その辺りは司祭職の管轄でお力になれず…… 誠に申し訳ありません」
頭を下げる真由様に、私達は慌てて頭を下げる。
「その後の話ですが…… 目が覚めたと思うと、AMGEのみんなと啓ちゃんが、激しい戦闘を行っていました…… 次第にみんなが倒れていき、残る北條さんだけとなったとき、彼女は突然消えて……」
同じだ…… 私が経験したあの夜と……。
私もこの事を話さなければならないだろう……。
「真由様。実は私も――蒼依さんと同じような経験をしたんです。山の中に蒼依さんを探しに行って…… その課程で羽磨那優衣《はまなゆい》と交戦しました」
その事に驚いた表情を見せる蒼依さん……。
しかし真由様は、まるでその事態を予測していたかのように冷静だった。キーボードを叩く音が少し早まった。私はその時の状況を詳しく説明する。
「北條さん…… 貴女はその羽磨那さんから、何かを言われませんでしたか?」
真由様はおそらく…… 事態をほぼ把握している。この場所から長野県北部地域までは相当な距離があるが、ここから状況を把握出来ているなら、その力が何処まで人知を超えているか想像もつかない……。
『私達の元へ来なさい。共に――この歪んだ世界を正すために』
あの時の羽磨那の声が…… 今でも頭の中で木霊しているように感じる……。
「羽磨那は…… 私達の元へ来いと言いました。しかし何か想定外のことが起きたようで今回は難を逃れましたが…… 恐らくまた彼女は現れると思います」
私がそこまで言うと、真由様はノートパソコンを静かに閉じた。
「分かりました…… 今回の長野旅行、事前に下調べを行いセキュリティ面も考慮して計画しましたが、羽磨那という女性は相当な力を持っているようですね……」
真由様の表情が曇る…… 恐らく想定外の事態が起こっている。素直にそう感じた……。
「真由様…… 私達教会の敵は、闇の死霊《ダークフォース》以外にも存在するのでしょうか? あくまで幻影の中の出来事ですが、松雪さんや黒川姉妹は存在を認識し交戦経験もあるようでした……」
聞いてはならない気もしたけど、私も第六位とはいえAMGEだ。許されるのなら知っておきたい。
「北條さんにも…… そろそろ話す時が来たようですね」
真由様はそう言うと、レモネードに口を付けたあと、ゆっくりと語り始めた。
「この世界には、遙か昔から私達と同じように強力な霊力を持ち、魔法を操る者達がいたと言われています。永きに渡り転生を繰り返し魔術を極めながら、影から世界の秩序バランスを保ってきた存在…… 私達はそれを魔女と呼んできました」
『まさか…… こんなところで魔女と遭遇するなんてね…… 北條――生きて帰れるか分からないわ。覚悟して挑むわよ!』
松雪さんが言っていた魔女とはこの事か…… しかし世界の秩序バランスを保つ者達がどうして……? 真由様の言葉が続く。
「しかし…… それも過去の話なのか、魔女の中には様々な理由で現実世界へ身勝手な干渉を行う者達が現れています。巷で聞く夢見の魔女はその一例と言えるでしょう。彼女達の行動指針に変化があった可能性も捨てきれず、教会は密かにそうした事態にも対応してきたのです」
「霊的能力のあるものが、何かしらの事件を起こしている……と言うことでしょうか?」
いまいち事態が把握出来ない…… 私は疑問を投げかけてみた。
「そう言うことになります。私達の社会において貧富の差は拡大しており、様々な弱者が日々生まれています。教会は救いの手を差し伸べてはいますが、十分ではありません。そして救いを求める人々の中には霊的能力が高い方もおり、それに目を付けた魔女が代償と引き換えに力を授ける事案が発生しているのです」
「つまり、仲間を増やしている――と?」
「その可能性もあります。魔女の力は高貴な知的生命体の魂を生け贄に捧げることで、より強大な力と魔術を会得できると言われています。表沙汰にはなっていないものの、魔女の仕業とされる様々な事件が日々発生しています。教会は闇の死霊達《ダークフォース》からの現世侵食を防ぐという役割もありますが、悪しき魔女の討伐も行っているのです」
私達と同じ…… いや、それ以上の霊的能力を持つ魔女の討伐…… 松雪さんや黒川姉妹、そして蒼依さんも……。
「北條さんは来年アルサード教会の司祭となる重要な人材で、今はまだ高等学部の人間です。そのため、非常に危険なAW絡みの案件からは遠ざけていたのです。ですが、今回の一件でその考えを改める必要が出てきました……」
真由様は蒼依さんに目を向ける。
「もちろん、北條さんだけでは無く橘さんも危険です。彼女達は貴女達二人に目を付けている。橘さんが知る優しかった羽磨那さんは、もうおそらく人では無くなっています。霊的能力の高い貴女と北條さんを同時に夢幻結界に引きずり込むなど、並大抵の術者が出来る事ではありません」
「真由様…… AWとは?」
私の問いに、真由様がその小さな口を開く。
「AW…… エイシェントウィッチ、もしくはアスファルティックウィザード…… 呼び名は様々ですが、その総称です。強力な力を持つ個体の事を、そう呼んでいます」
真由様の言葉が心に重くのしかかる…… 教会へ所属してから退魔士として闇の死霊達《ダークフォース》を祓うこと数年。私なりに精一杯頑張って、危険と常に隣り合わせの生活だと感じていた。
しかし、それでもまだ私は教会から大事に保護されていたのだ…… 松雪さんのようなAMGEとしての実力には、まだ遠く及ばない…… それを痛感する。
「二人には本日から護衛を手配します。極力私生活に影響を及ぼさない形にしますね。それと……」
真由様が非常に真剣な表情をしている。
「北條鮎香さん――貴女と霧峰さんには対霊能力者訓練であるELENA《エレナ》プログラムを今後受けてもらいます。今まで以上に厳しい訓練となりますが、北條さんならきっと乗り越えられるはず。他のAMGEメンバーもプログラムの強化を行う予定です」
真由様の真剣な眼差しを見ていると、今後の訓練の過酷さが見て取れる。退魔師《エクソシスト》の基本訓練であるDIVA《ディーヴァ》プログラムでさえかなり厳しい訓練であり、今でも基本能力を磨くためそれは続いている。
「真由様、今後とも宜しくお願いいたします。AMGE第六位の名に恥じぬよう、更に励みます」
訓練プログラムの追加となると、模擬戦も今後更に増えていくだろう。魔女に対抗するには私の力はまだ未熟。只でさえ由奈さんの失踪事件もある。今後は休む暇さえない日々が続いていくだろう……。
「聞きたかったことは以上となります。二人とも、お時間ありがとうございました」
真由様が眼鏡を直しながら優しく微笑んだ。パールピンクのフレームは、知的な真由様にとても似合っている。こうやってまじまじと見つめたことは初めてかもしれない。
「それでは、失礼致します」
私達は真由様にお辞儀をし、執務室を後にした……。