ユメミサマと言う言葉がある。
それは女子学生の間で密かに噂される都市伝説。
夢の中に現れるというユメミサマから深紅の指輪を授かると、
どんな願いでも叶えられるという。
只その先の結末は、人によって大きく異なる。
想い人と結ばれるという人や
幸せになれるという人。
不幸になるという人。
そして、消えてしまうという人…
願いを叶えるユメミサマ。
その正体を知るものは、まだ誰もいない…
白い… ただ白い…
見渡す限りの白い空間…
私はいつからここに倒れているのだろう… いや、そもそも倒れているのかすら分からない…
地面も無ければ、天井も無い、白い空間… 重力すら感じられない…
ただ、不思議に心地よい… それは確かだ…
心地よさに身を任せ、目を閉じる。そのまま眠ってしまいそうなくらい…
ただしばらくすると、何か音が聞こえてくる…
低い音から、それはやがて耳に痛い甲高い音となり、わたしは不快感で目を開けた。
その時だった。
「花梨さん…」
目の前に何かが居る… ただそれが何なのか、私には分からない…
白い靄のような、何かの人のような見えない塊が、私の目の前にいるのだ…
「叶える願いはひとつだけ… それが成就する時… 相応しい… を… ます…」
意識が急に遠くなる… 最後の言葉がよく聞き取れない… これは…
2026/02/13 07:12 夏色家 花梨自室
「花梨~!いつまで寝ているの!学校遅れるわよ!」
母の声が聞こえる。というか目の前に居た。母は困ったような顔で私を見ると、部屋を出て一階に降りていく。
夢を見ていた… 白い… 何時間も… 何十時間も夢の中で過ごしたような気がする…
ボサボサの髪に手くしを通そうとした時、ある違和感に気づく。
「これは…」
私の右手の中指に、綺麗な装飾が施された深紅の指輪が嵌められていた。これはルビーだろうか?宝石のような輝かしい深紅の石。ただ、どこから異様な雰囲気を感じるような気もする…
取れない… どうやっても取れない…
学校にこんな目立つアクセサリーをしていくわけには行かない。だけど、どうやっても取れないのだ。さすがにこれ以上一人で苦闘していても怪我をしそうで怖い。
わたしは軽く髪を整え一階へ降りる。
「お母さん。ちょっと手伝って。これ取れないの」
わたしは右手を母に見せた。だが、母はきょとんとした目で私を見ている。
「花梨?まだ寝ぼけているの?」
「え?だってこれ…」
母には、この指輪が見えていないのだろうか?
「この指輪ね。朝起きたら勝手に指に嵌まってて…」
「花梨、早く朝ご飯食べなさい。いつまでも寝ぼけてないで顔も洗ってくるのよ」
やはり、見えていないのだ…
そういえば以前、後輩の千冬からある都市伝説を聞いたような覚えがある。もう数ヶ月前のことだから、あまり良くは覚えていないのだけど…
たしか、夢の中で誰かが指輪を授けてくれて… えっと…
そうだ。ユメミサマだ。思い出した。
ただその時は冗談半分で話を聞いていたので、それ以降のことは全く覚えていない。母に見えていないと言うことなら、この指輪は私以外には見えていないのかもしれない。
どうしよう… 千冬や六花に相談したいけど… いきなり相談するのも千冬や六花を巻き込んでしまうような気もする… 今日は一緒に部室でお昼食べる約束をしてるけど…
私は悩んだ末、ある行動をすることにした。ご飯を食べて部屋に戻った私は、スマホを取り出して、指輪が嵌められた右手の写真を撮る。
“ツイっと”を起動して、メッセージを書いて、写真を添えて投稿を開始。
これ一体何なのかなー?
天井に向けた右手の写真。その写真の中央には深紅の指輪が嵌められている。指輪が見えている人ならそれなりの反応があるはずだ。見えていないなら無反応か、何のことなのかと反応があるだろう。フォロワー数も音楽活動のおかげで5000人は超えている。誰かが何かしらの反応をしてくれるはずだ。
「花梨―!学校遅れるわよ!」
「もう用意したから!今から出るの!」
怒りだした母をよそ目に、私は学校へと向かった。
小樽潮風高校3年生、夏色花梨。それが私の名前。
午後の授業が終わり、わたしはお弁当を持って部室へと向かった。やはりというか何というか、この指輪は現時点で誰にも見えていないらしい。授業中に先生の質問にわざとらしく手を上げてみたものの、先生にも指輪は見えていないようだ。
「お待たせ。二人とも」
部室には既に千冬と六花が来ていたようだ。わたしは二人の側に座り、お弁当箱を開ける。
「先輩、今日もお弁当美味しそう。いいなー」
「そんなこと言っても分けてあげないからね」
六花はいつも私のお弁当を狙っている。いつもこうやっておかずを狙ってくるのだ。
「六花さん。花梨先輩が困っているじゃないですか…」
千冬が毎回のように私のカヴァーに入る。
3人でいつものように楽しく昼食を食べ、たわいもない話で盛り上がる。いつもの穏やかな日常だ。
やはり、六花と千冬にもこの指輪は見えていない。わざとらしく指輪を見せるそぶりもするも、二人とも無反応だ。
そして私は、話を切り出す。
「ねぇ、千冬。以前さ、ユメミサマって話してたよね…?」
その途端、まるで一瞬その場の空気が凍りついたかのように、二人の息が止まる。
「…先輩」
千冬の表情がこわばる… 何処となく目線を下げた千冬が、口を小さく開く。
「ユメミサマの話は… やめたほうがいいです…」
「…どういうこと?」
うつむく千冬に問いかける。その問いかけの割って入るように、六花が切り出した。
「花梨先輩、やめたほうがいい。他校で行方不明になった1年生がいるの…。その子ね、ある日いきなり指輪を夢の中でもらっ…」
「やめて!」
普段大人しい千冬が、声を荒げて六花の話を遮る。
「話もしちゃいけない… たわいもない噂が、呼び寄せてしまうの… 授かった指輪は授かった本人にしか視えないし、間違ってもそれをSNSにアップしちゃいけない… 別の危険が迫ってくるから…」
千冬は恐怖に駆られた小さな声で呟く。
ちょっとまって… SNSにアップしちゃいけない? 別の危険って…何?
「ねぇ、千冬…ごめん… SNSにアップしちゃいけないっていうのは…?」
「ユメミサマは人ではない存在って言われています…いわば超常的な“何か”なんです。そしてそれを追っている組織があるって… 私も詳しくは分からないですけど、SNSにアップするとその組織から狙われるって…行方不明になった子もその事で…」
ウソでしょ… 冗談みたいな話だけど… 千冬の怯えようと六花の深刻な表情から、二人が冗談を言っているようには見えない。
「ねぇ、なんで花梨先輩そんなこと聞くんですか?いつも先輩そんな噂話聞く耳持たないのに…」
まずい。これ以上の詮索は二人に気づかれる。もう気づかれているかもしれないけど。
「じゃあ、明日また部活でね!」
私は急いでお弁当箱を片付けると、一目散にその場を立ち去った。
午後の授業は、全然頭に入ってこなかった… あんな話を聞いた後だ。勉強なんて出来る心境じゃない。大体SNSにアップしちゃいけないってなんなの?スマホを確認したいけど、確認したくない気持ちもあって、自分でもよく分からない…
多分私は… 今すごく怖い… 私の右手の中指に嵌まっているこの赤黒い指輪が…
結局の所、ユメミサマについての詳細は分かっていない。
超常現象的な“何か”である事。他校でここ最近、行方不明になった子がいる事。考えれば考えるほど不安な気持ちが襲ってくる。それを追っている何かしらの組織があるとは言っていたけど、それはさすがに冗談がきつい… きっと噂が広まって行くにつれ付いた誰かの作り話だと信じたい…
そんなことを考えているうちに、いつの間にかに5時限目も終わり、今日の授業は全て終了した。机の中の教科書を鞄に入れて、私は教室を、そして校舎を後にする。
まだ2月… 北海道の冬は寒い…
所々除雪されているとはいえ、歩道は微妙に歩きづらい…
何か暖かい飲み物が飲みたい…
わたしは帰路の途中にある公園に立ち寄る。自販機で温かいカフェオレを買うと、屋根の付いた休憩所に腰を下ろす。
そして私は、温かいカフェオレを飲みながら、スマホを取り出した。
確認したい気持ち… けど何故か怖い… 何か変なメッセージでも来ていたら… 恐れる気持ちと戦いながら、わたしは“ツイッと”を立ち上げる。
そして私の手から… カフェオレの入ったペットボトルが地面に落ちた…
ない… ない… ない…
私が朝、画像付きで呟いたはずの投稿がない…
どういうこと? 勝手にツイートが消されるなんてあり得る?冗談でしょ?何かの間違いじゃないの?あれ、そもそも私ホントに朝ツイートなんてしたっけ?わからない…わからない…記憶が混乱してくる…落ち着いて…落ち着いて私!
記憶を整理してみる。私が朝目覚めた時、右手にこの深紅の指輪が嵌められていた。そしてこの指輪は母には見えていないようだったので、他の誰かは見えないのかと思ってSNSに指輪を嵌めた右手の写真をアップして反応を見ようと思った。
写真フォルダを見る。ある。朝撮影した私の右手が映った写真。つまり私は朝、確実に“ツイっと”に投稿したのだ。なのに投稿がない…
背中に寒気が走る… 間違いなく寒さのせいじゃない…
急に心細くなる… 時刻は午後3:30過ぎ… まだ2月だし午後から曇っているからか微妙に薄暗い… 得体の知れない恐怖感が私の心に広がっていく…
(家に、帰らなきゃ…)
そう思い休憩所から立ち上がろうとした時だった。急に目の前が暗くなる。
ドン!
「え…」
私の目の前が暗い… いや、塞がれていた。体が動かない… ものすごい力で押さえつけられている…
ズチャ!
何の音…?今まで聞いたことのない不気味な音… 何か肉を引き裂くような… 引き裂くような…?
私の状況が… 分かった… 痛い… ものすごく痛い… 誰かに強く抱きつかれたまま、腹部を刃物で刺されたのだ… ものすごく強く抱きしめられているせいで… 男の胸に口が密着していて… 声が出せない…
「い…や… 嫌…」
声にもならない声が掻き消されていく…
「花梨ちゃん…もうずっと…僕のものだからね…」
おぞましい声が、私の耳を襲う…
まさか自分が…こんな目に遭うなんて…
意識が遠のいていく… きっと出血がすごいんだ… 人生、まだまだこれから…な…
体が楽に… いや、倒れたのだ…仰向けに倒れた私は… 赤く…薄暗い夕焼けの空が見える…もう死んでしまう… そんな…まだ高校生なのに…嫌… 死にたくない… こんな所で…
こんなところで死にたくない!
そう強く願った時だった。私の右手の中指に嵌まった指輪が、強烈な光を放ち始める。そのまばゆくも禍々しい光は、その場の全てを飲み込んでいく。
「…貴方は…?」
気がついた時、わたしは公園に立っていた… そして足下には、”血だらけの私”が空を見上げ横たわり屍と化している…
「わたしは…貴方に指輪を授けた者… 生きたいという願いを、今一度問いましょう。選びなさい。貴方の足下に転がった事実を選ぶか、それに抗う道を選ぶか…」
黒いローブに包まれたその人は、私に静かに問いかけた。
そして思い出した。この目の前の存在が、夢の中で私に指輪を授けたのだ。
「貴方は…ユメミサマなの?」
「違う…私が授けた指輪には…彼女達のような力は授けられない…」
「彼女達…?」
私の問いに、彼女は答えない。
「抗う道を選ぶなら… 私は生き返ることが出来るの?」
そして彼女は静かに答えた。
「抗う道を選ぶなら… その代償として…貴方の半身は私と共に旅をする。色々な場所…様々な次元…そして貴方は歌う…視たものを…感じたことを…私の作り出す魔法に乗せて…いつか再び…一つの魂に還るために…」
そして彼女は私に手を差し伸べる…
この差し出された手を拒むのなら、わたしはこの公園で完全に息絶えるのだろう…
そんなことは、絶対にごめんだ…
私の未来はこれからだ。この差し出された手の先が、どんなに辛く困難な道なのだとしても、わたしは還る。私の明るい未来のために。その為に歌う。何故それを求められているかは分からないけど…
ただ、この人は歌えないのだ。それだけは分かる気がした…
ずいぶんと回りくどい、最悪なスカウトだけど。
そして私は、その手を取った。
2026 2/14 08:47
小樽私立病院 特別個室
気がついたとき、私は病院のベッドの上だった…
話によれば、わたしは公園に倒れていたらしい。体に刺し傷等は何処にもなく、痛みすらなかった。
思い出せない。何もかも…
ものすごく長い時間、私はここじゃない何処かにいたはずなのに…
そもそも何故…私は生きているんだろう?
あの時のことは、今でも思い出すと悪寒が走るほど明確に覚えている。
わたしは腹部を引き裂かれ、出血もひどかったはずだ。本来なら生きているはずがない…
だけど、今こうして生きている。まるで何事も無かったかのように…
そのとき、病室のドアが開いた。
「失礼する。警察のものだ」
トレンチコートを羽織った二人組。若い男の人と、同じく若い女性が入ってきた。二人ともコートを脱ぐ。二人とも身なりがしっかりとしており、体格もいい。女性の方は線が細いものの、その立ち姿はモデルのように美しかった。美男美女とはこういう人達のことを言うのだろう。
「夏色花梨さん…ね?ちょっとお話を聞かせてもらえないかしら?」
女性はそう言うと、軽く警察手帳のようなものを見せる。
「私の名前は、姫宮麻美。もう一人は神蔵久宗。警視庁公安部第七課のものです。私達には政府より特別拘束権が与えられています。私達の質問には嘘偽りなくお答え頂きますが、返答の内容によっては貴方を安全のために拘束する義務がありますことをご理解ください」
落ち着いた澄んだ声で、さらりと恐ろしいことを言われたような気がした…
警視庁の公安部の… 特別拘束権? そんなの聞いたことがない… ほんとにこの人達警察なの…?
「あの…ほんとに…警察の方なんですか…?私あいにくまだ頭がふらついていて…」
事実だ。ものすごく長い間何処かにいた気がして、正直まだここが現実なのかすらよく分からない… 頭が混乱している。頭痛もする。
「君のSNSの投稿がきっかけで俺達は急遽ここに来ることになった。投稿は安全上の理由で削除させた。あまり時間が無い。今までのことを話して頂きたい」
神蔵という男の人は、私のベッドのそばで椅子に腰掛けた。
思い出せない… そもそもなんで私は… 下校中に公園に寄ったのだろう?
ただ… SNS… 投稿… 痛い… 思い出そうとすると頭が痛い… 割れるように痛む…
「大丈夫? 頭が痛むのかしら? 痛むなら無理に思い出さなくていい」
ベッドの上でうずくまる私を、姫宮という女性が心配そうに見つめる。
それから少し間を置いてから、神蔵という男がスマートフォンの画面を私に向けた。
「この画像に見覚えがあるはずだ」
スマートフォンには、見慣れた天井に向かって誰かの右手が伸びている。
これは… 私の手…?
「教えてほしい。君の右手には、この時何があったのかを」
おぼろげながら、何かを思い出した気がする… 考えようとすると頭が痛い…
そう、そうだ。わたしはこの画像をSNSにアップした。思い出した!
あれ、でもなんで… SNSにアップしたの…?
「SNSにはアップしました… けどなんでアップしたのか…分からない…」
何故だろう… 肝心な何かの記憶が、そこだけバッサリ無くなっている…
それと一緒に… 長い間… 忘れたくない何かが… 私の中で喪失したような気がする…
気がつくと、涙が落ちる… なんで私は泣いているんだろう…
「ごめんなさい… 何も… 何も思い出せない… 今までのことも… 忘れたくなかった事も… 私は…私は…」
胸が締め付けられる… 不思議な形容しがたい何かがこみ上げてくる… 声にもならない声で私は泣いた。姫宮という女性がハンカチを差し出し、私を抱き寄せた。
「辛かったね… 好きなだけ泣いていいよ… 大丈夫。貴方は生きている… 生きているのよ…」
それから三日後…
わたしは元の生活を取り戻した。
立花や千冬、学校のみんなにずいぶん心配をかけてしまったけど…
思い返せば思い返すほど、あの出来事についてはよく分からなかった…
日常生活を送る中で、少しずつではあるが忘れていくのだろうか…?
無くした記憶は、もう二度と甦ることはないのだろうか…?
2月の薄暗い夕暮れを見ながら、私は家へと急ぐのだった…
UCIA SECRET LEVEL3 20260214 REPORT
報告者:神蔵久宗
調査対象者:夏色花梨 (北海道小樽市在住 小樽潮風高校3年女子)
ネットワーク検知システムでAWに接触したと思われる画像投稿を確認。姫宮と共に北海道の現場へと急行したが、時は既に遅く意識不明の状態で対象を発見。病院へ特別搬送した後、対象は意識をかろうじて取り戻した。
その後の聞き取り調査では、重要な部分の記憶は全て消去されており、それがAWへの接触をより確かなものにしている。
AWと接触し生還した例は非常に珍しく、大抵の者が惨殺されている事実を考慮すると、今回の例でのAWの目的が何なのか推測が非常に困難であると言わざるを得ない。
欧米でも超常現象が絡む事件等は数多く経験したものの、あなた方がAWと呼称する存在は常軌を逸している力を持っていると推測せざるを得ず、ある程度の情報開示が無いと我々としても非常に危険な状態に陥る事が容易に想像できる。捜査上の安全を確保するためにも、AWについての情報開示と、警視庁公安部との更なる連携が出来るよう協力を求めたい。
今回の件に関して以下の対応を要請する。
1. 対象に関しては血縁者を含む今後半年間の継続監視
2. 小樽市周辺100km範囲の霊的調査
3. 教会への人的協力の打診
4. 姫宮麻美のUCIAからの除名とFBIへの復帰
4に関しては早急に対応を行う事を要請する。
AWの脅威レベルは計り知れず、姫宮にこの任務は非常に危険であり、代わりとなる者を早急に配置することを望む。以上。
END