海に消える夕日
2026年8月27日。木曜日。18時20分。
千葉 聖アルサード教会 屋上。
私は一人、大聖堂の屋上へとやってきた。ベイエリアに建設された荘厳な建物の最上階に当たるこの場所は、何処までも続く太平洋が見渡せる場所でもあった。
(AMGE第六位、か……)
海の向こうへ消えていく夕日を見つめながら、そんなことを思う。教会の中で、AMGEはその霊的才能が認められたエリート的立ち位置である。聖女神官である真由様の親衛部隊とも言われている私達。AMGEに抜擢されたときは非常に喜んだ私だったが、今となってはその重圧と恐怖に足が竦んでいるようにも思える……。
『そして忠告するわ。アルサード教会を信じてはいけない。貴女が探している真実を知りたいのなら……』
羽磨那の言葉が頭から離れない。
『私達の元へ来なさい。共に――この歪んだ世界を正すために』
私が探している真実…… それは誰が、何のためにパパとママを殺したのか…… 突如奪われた幸せだった生活……。
もしも、あのまま幸せだった生活が今でも続いていたのなら、私と麻由美はどんな生活を送っていたのだろう……?
アルサード教会に所属することも無く、麻由美と二人で好きなことに没頭して、やがては大人になって……。
(ダメだ…… こんなこと考えちゃ……)
自然と目が潤み、滲み始める…… あり得たかもしれない未来を望むことなど、現実逃避でしかない……。
(私が望むのは麻由美の幸せ…… 教会はずっと私を支えてきてくれた。真由様も、AMGEのみんなも、私の中でかけがえのない存在……)
「北條さん。良かった――ここにいると思いました」
その時、聞き慣れた声がした。振り返るとそこには佐藤聖司祭の姿があった。
「佐藤聖司祭。ご無沙汰しております。どうしてここに……」
佐藤静枝《さとうしずえ》聖司祭は非常にお忙しい方だ。教会の広告塔として、日々様々なメディア戦略を主導しており、教会の内政も取り仕切っている。上條聖司祭が裏の聖司祭だとすれば、佐藤聖司祭は表の聖司祭だ。その柔らかい物腰と優しさを感じさせる美貌もあって皆から慕われ、崇められている。
『そのか弱い姉妹に暖かい食事と寝室を用意しなさい』
幼かった私と麻由美を、保護してくれた命の恩人とも言える人だった。偶然居合わせた佐藤聖司祭のあの一言が無ければ、私達はどうなっていたことだろう……。
「北條さんに、直接伝えたい事がありましてね」
私の側で海に沈む夕日を見つめながら口を開く。
「明日…… 米国の捜査機関がアルサード女学院高等学部へ捜査に来ます。そのため明日の学校は鮎香さんと麻由美さんは休養ということにしています。ゆっくり麻由美さんと外出せずに過ごしてください」
「米国の……捜査機関?」
その言葉に私は驚いた。何故海外の捜査機関が……。
「UCIA…… 正式名称はUnknown case Criminal Investigation Agency。正直なところ正体不明の謎の捜査機関です。その日本支部から貴女に浜野由奈さんの件で、聞き込み調査を行いたいと申し入れがありました。学園側は了承しましたが、流石に急すぎるので教会側で手を打ったという訳です」
「まさか…… 海外の霊的捜査組織なのでしょうか……?」
「流石ですね――北條さん。おそらく米国国防総省《ペンタゴン》の直轄組織と教会では見ています。いよいよ米国が――本格的に動き始めたのでしょう」
なんだろう…… 由奈さんの失踪と共に、何か大きな事態が動き始めている……。
AMGE第六位として…… アルサード教会の助司祭として、私は今後も、励んでいけるのだろうか……。
考えれば考えるほど、足が竦みそうになる……。
それ程までに私は…… 魔女に恐怖していると言うことなのだろうか……。
「北條さん――色々とご心配なのは私も良く分かっています。しかし、貴女だからこそここまで辿り着けたのですよ。来年からは正式な司祭となり、貴女はより多くの人に笑顔と祝福を与える存在になる」
私を見つめながら、そう微笑む佐藤聖司祭。しかし…… 今の私には実力不足のように思う……。
「佐藤聖司祭――わたしはまだ、助司祭としても未熟であるような気がしてなりません…… 誇りあるアルサード教会の司祭には、まだ早すぎる気がするのですが……」
司祭職はアルサード教会の中でも狭き門。現在就いている助司祭も本来ならば十分な経験を積んだ20代後半からが選考対象となるものだ。
「北條さん――貴女は幼き頃から教会に属し、献身的に職務を行ってきました。危険を顧みず、今はAMGEとしても救世主《メシア》様のために尽力している。助司祭としても周囲からとても慕われています。貴女の可能性を、わたしは初めて出会ったあの時から、感じていたのです」
子供の頃の記憶…… 麻由美の手を握り、暗い夜道を逃げるように走り辿り着いたアルサード教会の施設。
『お願いします! 妹を助けてください! わたし達は――』
息を切らして、泣きながら懇願したあの日のことを…… 私は忘れることが出来ない……。
困惑する施設スタッフ達の前に、偶然その場に居合わせた佐藤聖司祭。
『よくここまで辿り着けましたね。女神アルサード様は、か弱き者達を救うために存在しているのです』
泣いている私を、優しく抱きしめてくれた佐藤聖司祭……。
昔感じたママのような優しさと温もりを、私は今でも鮮明に覚えている……。
そう…… わたしはあの日に誓ったのだ…… 麻由美を、たった一人の妹を、必ずこの世の悪から守ってみせると……。
「ありがとうございます。佐藤聖司祭。初心に立ち帰り、これからも教会のために全力を尽くします」
不思議と心から恐怖心が消えていた。私の足を竦ませていた魔女への恐怖……。
心を惑わす霧を振り払ったような気持ちになった私は、佐藤聖司祭に励まされながら、教会を後にしたのだった。