高鳴る鼓動 1

2026年8月26日。水曜日。6時35分。
温泉旅館 星嶺閣《せいれいかく》 私室。

旅行二日目。

昨日は結衣花ちゃんと夜風に当たりすぎた為か、少し肌寒く感じる朝を迎えた。特に熱は出ていないものの、いつもより体温は高め。風邪の引き始めに飲んでいる葛根湯を淹れて、それを飲みながら窓の外を眺める。

『結衣花ちゃんのこと…… 私は大好きだよ。いつも私を守ってくれて、幾多の危険を二人で乗り越えてきた。だから、只の恋愛感情では表現できない、強い結びつきを感じてる。これからも二人で、ずっと歩んでいきたい。そう心から思ってるよ』

結衣花ちゃんとはこれからも仲良く、共に歩んでいきたい。自分で言った事とはいえ、見方を変えれば卑怯な言葉なのかも知れない。

彼女の気持ちに応えることも、それを拒絶もしていない、中途半端な誠実さに欠ける言葉だったのかも知れない……。

いつかは…… はっきり言わないといけない……。

それは分かっているのだけど……。

朝食。昨日のことが無かったかのように、松雪さんは平然としていた。蒼依さんもようやく体調が回復したのか、今日はみんなと朝食を楽しんでいた。

「それじゃ、クジ引きで今日のパートナーを決めるわよ」

先日のように松雪さんがしきってのクジ引きで、今日のパートナーは松雪さんに決まる。

(いろんな事、聞いてみたいな……)

松雪さんの事を、私はとても尊敬している。私と1年しか年が違わないのに、私より遙かに大人びて見える。剣術と霊力にも優れ、リーダーシップを発揮して統率力もある。

光瀬さんがいない今、AMGEをここまで纏められているのは間違いなく松雪さんの尽力があってのことだ。

「少し歩くけど、眺めの良い場所があるみたいよ。着いてきなさい」

言葉は少し上から目線に聞こえるが、そのイントネーションには彼女なりの優しさが感じ取れる。グレーのロングスカートに白のブラウス。胸元の黒いリボンがお上品だ。白く装飾が施された日傘は明らかに高そうなもので、彼女が持っているからこそ似合っているように見える。

それからしばらくして、私達は山道を歩き森を抜けて、開けた場所に出た。時間にして1時間ほど歩いたのだろうか。かなり高い場所まで来た気がする。辺り一面に綺麗な花が咲いており、遠くに見える壮大な山々。まるでファンタジーの世界に足を踏み入れたかのような、素敵な場所だった。

「なかなか素敵な場所ね。こういう場所でお茶を飲みたかったのよ」

松雪さんはそう言うと、バックから取り出したレジャーシートを広げる。と言っても量販店で売っているようなシートではない。明らかに高級そうな布地のテーブルクロスのような物だ。レジャークロスと言った方が正しいのだろうか。

「北條、座りなさい。お茶を煎れてあげるわ」

何処となく以前より、言葉に少し暖かみを感じる。少しだけ微笑した彼女は、優雅な手つきでティーカップに紅茶を注いでいく。ティーカップも高そうな物だ。ピンクゴールドの刺繍柄がとても綺麗で可愛く感じる。

「松雪さん、ありがとうございます」

私は横に座ると、差し出されたティーカップに口を付ける。

「前にも言ったけど――彩奈で構わないわよ。もっとも北條の性格からして、他人を呼び捨てには出来ないのでしょうけど……」

松雪さんは静かにそう言うと、ティーカップに口を付けた。

「この紅茶、美味しいですね。すごくフルーティーな香りがして、けど後味がさっぱりしているというか……」

鮮やかなピンク色の紅茶。少なくとも私が普段飲んでいるような安物ではない気がした。

「フランス、マリアージュフレールの紅茶よ。ここの紅茶は飲みやすくて気に入ってるの」

さらりとそう言うと、またゆっくりと紅茶を嗜む彼女。

「茶菓子もあるわよ。遠慮はしない事ね」

バックから何やら素敵な包装の紙袋を取り出すと、中に入っている個包装された上品そうなお菓子を並べる。こうしてみると、とても長剣を巧みに操っているとは思えないほど、彼女の手は白く透き通っている。

「どうしたの? 私の手がそんなに珍しいのかしら?」

「いえ、松雪さんはあんなに長剣を自在に操れるのに、もの凄く綺麗な手をされているなと……」

私がそう言うと、松雪さんは掌をこちらに向けてきた。

「触ってご覧なさい」

その手を合わせるように、彼女の掌に触れる。そして触れた瞬間に、外側の見た目と違い内側は所々堅く、ゴワついている事を知る。

「戦闘の際は霊力で重量を緩和しているとはいえ、時には霊力無しで訓練することもあるわ。自在に長剣を操るのは簡単なことじゃない。もっとも私なんてまだClassA、剣術なら蒼依の方が更に上を行っているわ」

剣術訓練で堅くなった掌を見ながら、松雪さんはそう静かに言った。

「もっとも、蒼依は私との模擬戦ではいつもあんな感じよ。退魔の際には圧倒的な剣技を見せるのにね……」

蒼依さんが、松雪さんに本気で挑むことが出来ない理由…… それは何なのだろうか?

『……私が悪いんです。松雪さんはプライドが高くて、高飛車な一面もありますけど、物事を鋭く観察し周りをよく見ています。頭の回転も速くて剣の腕も立つ。AMGE第二位は私ではなく、松雪さんが就くべきだと思っています』

蒼依さんの言葉。話し方からするに蒼依さんも松雪さんのことをよく見ている。というか純粋に尊敬しているようだった。食事の誘いも受けたことを考えると、松雪さんのことが嫌いというわけではないのだろう。

「蒼依さん、松雪さんのことを嫌っているわけではないと思うんですが…… 何か理由があるんでしょうか……」

そこがどうしても分からない。私は素直な疑問を投げかけてみた。

「まあ、皆が思っていることでしょうけど、私はプライドも高ければ言葉に棘がある事も事実よ。ただ、嘘は言っていないし本心で相手と向き合っているからこそ、と言うこともあるわ。もっとも…… 都合の良い言い訳にしか聞こえないでしょうけどね……」

すこし彼女の表情が暗くなる。

『わたしはね…… うわべの付き合いが嫌いなの。顔色を窺って、気を遣って…… 本音を言えない関係に何の意味があるの? 生まれも違えば考え方だって違うわ。意見がぶつかりあうことは必然なの』

松雪さんの言葉を思い出す。

「松雪さんが仰るとおり、上辺だけの言葉に意味なんて無いのかもしれません。情報化社会の中で、人と人との繋がりは希薄になってしまったと私も感じています。差し障りのない言葉で相手を傷つける事も、自分が傷つくことも恐れている。わたしは、松雪さんの人との向き合い方はとても勇気のあるスタンスだと捉えています」

私がそう言うと。彼女は少し俯いた顔を上げた。

「北條からそう言われると――少しだけ救われる気がするわ。流石は未来の司祭様、と言ったところかしら?」

そう言って彼女は微笑した。只、何処となくその瞳は悲しそうにも見える。

よく思えば、松雪さんが学園の中で誰かと一緒にいる事を見たことがない。一人で昼食を取っている姿は、私も度々キャンバスで見たことがある。

「私もね、もっと優しい言い方が出来れば…… といつも悔やんでばかりよ。だけど、私の今までの経験がそれを許さないの。人の心はうつろいやすいもので、信じていた存在に裏切られる事で、少しずつ冷めてもいくわ。心の冷え切った人間は、その身もやがて朽ち果てていく。それが分かっているからこそ…… 私は自分に負けたくないの」

声のトーンを落とした彼女の言葉……。

きっと松雪さんは、過去に人間関係でトラウマになるような出来事があったのかもしれない。そして今でもその辛い記憶が消えていない。人を遠ざけ、孤独が一時の癒しになったとしても、それではダメだと自覚しているのだ。

「松雪さんは――とっても心が強いんですね…… 私がもし、信頼していた人に裏切られ、心に深い傷を負ったとしたら、そこまで前を向いて生きられないかもしれません……」

心の傷…… もし麻由美に何かあったとして、それが取り返しの付かない事だとしたら、正気を保てるかすら怪しい……。

!?

ふとその時、激しい頭痛が走る。それと同時にふらふらと立ち眩みのような症状……。

「北條……? ちょっとどうしたの!?」

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